HPI歯科研究会

歯科診療を受診される皆さまへ

投稿日: 2024-06-13

 

 歯科疾病は我々日本人の多くの人が患っており国民病とも言われています。

 しかし反面、歯科診療に関しては意外と知らないことが多く、痛くなれば歯科医院に行けば良いと簡単に考えておられるのではないでしょうか。

 最近は医療の発展と生活環境の改善で平均寿命が延び第164回(2022)の調査では男性81.4歳、女性87.4歳となっています。それに対して健康寿命は男性72,2年、女性75,4年でその差は男性8,7年、女性12,1年となっており、この不健康の期間を出来るだけ少なくすることが近々の課題となっています。

 ところでみなさん歯の寿命ってご存知ですか。全ての生き物に寿命があるように、実は歯にも寿命があるのです。

 少し古いデータになりますが、平成11年(1999)厚生労働省が歯科疾患実態調査報告を行っています。これによりますと歯の平均寿命が最も長いのが、男性だと下顎の犬歯で66,7年、女性でも右下犬歯の66,2年となっています。逆に最も歯の寿命が短いのが、男女とも下顎左の第二大臼歯で、男性で50年、女性で49,4年です。

 昔は、平均寿命も短くこれで良かったのかも知れませんが、前述したとおり平均寿命は大幅に伸びています。この差が、不健康の期間となっているのではないかと推測します。その為には、歯の寿命を延ばすことが必要です。

 歯の寿命を延ばすためには、受診者が歯の診療についてもっと知識を高め、歯科治療に携わる歯科医のおかれた立場を理解し、双方が歩み寄ることが大切だと思い、このコラムを立ち上げた次第です。

HPI歯科研究会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、歯科医師ではありません。しかし、歯科診療の将来に関して大きな危機感を感じています。私が歯科界に入り60年以上、歯科界一筋に様々な業務を経験し、歯科医師を初めとした多くの方々との接触を通じていろいろと感じてきたことを患者の立場で率直に申し上げたいと思い纏めてみました。ご一読賜れば幸甚に存じます。何卒、宜しくお願い申し上げます。            HPI歯科研究会 理事 小 梶 宏 實

 

 

第1章 私の歯科治療歴

 最初に私の歯科治療暦から紹介しましょう。

小さい頃は歯の状態も余りよく無かったようで歯科医院に連れて行かれたことを覚えています。

私が通った歯科医院は1階が住居で2階が診察室で奥様が受付をなされており、このような歯科医院は他にも多く見受けられました。(1946年頃)

待合室は畳式で、大きなポスターが掛けられており、お口の病気が全身に関与していることが知らされており、「歯槽膿漏」と言った言葉が非常に恐い病気であると子ども心に感じていました。また、治療は痛いことが多く、何か悪いことをすると母親から「歯医者さんに連れて行くよ。」と脅され、子どもにとって歯科医院は恐いことをする代表的なところだったのです。

森田製作所(現モリタ製作所 京都市伏見区)に入社したころ(1962)の私は、歯に関しては全く関心がなく、歯磨きも十分でなく、朝起きて歯を磨いたら出血がするなど、褒められた状態ではなかったのです。

悪くなれば、歯科医院へ行けばよい。また、森田製作所が関係する歯科医院も多くあるのだから悪くなれば何時でも診て頂けると安心し切っておりました。

森田製作所での研修を受けた後は、技術サービス課の一員として歯科器材の販売を行う株式会社森田歯科商店(後に「モリタ」と改称)の各支店や営業所に派遣され、森田の歯科器械のユーザの先生方の医院を訪問し自社製品の修理や取り付けを行っていました。

そのような中で先生方を対象とした「セミナー」が行われていました。そのセミナーをお手伝いしていた会場で口腔診査を受け、カリエスが見つかると参加されていた先生方が治療を行うのですが、私の場合、左下6番の咬合面と右上7番の遠心歯茎部にカリエスがありました。咬合面の治療はやり易い場所だったので、参加者の先生に治療をして頂きましたが、右上7番の場所は治療が難しく、当時このセミナーを主宰されていた米国人歯科医師の「ダリル・レイモンド・ビーチ」先生から直々に治療をして頂くことになりました。これが、私とビーチ先生との治療上最初の出会いです。(1966

ビーチ先生は、大きな指で、超高速で回転する切削道具(エアータービン)を操り、いとも簡単に治療が終わりましたが、後日、治療後の研磨を担当された先生が良くこのような研磨をする為の道具すら入らない場所なのに上手く充填されていると驚かれ複数の先生方が治療の跡を診に来られました。それ程に素晴らしい治療だったのです。その後30年位経ったでしょうか。隣の歯(右上6番)を抜歯することになり、ブリッジの支台にするためクラウンを装着することになりましたが、歯茎部の充填物は経過が良いので取り除かずその上にクラウンを被せましょう。とのことでクラウンを装着し現在(2024年)に至っています。今日もクラウンの中にビーチ先生にして頂いた治療(58年前)が残っているのです。これは驚き以外何物でもありません。

 

ビーチ先生に治療をして頂いた1年後だったと思います。今度は左上7番遠心歯茎部にカリエスが出来てしまいました。(1967)

丁度、ビーチ先生に治療をして頂いた反対側の同じ場所です。担当して頂いた先生は私が信頼していた若い先生です。

先生曰く、悪いけれどもこの歯の治療は私には出来ません。何故ならばこの狭い所で、超高速で回転する切削具を私には取り扱えません。つまり、治療が上手く出来ないとの理由です。通常は、そのようなことは話さず、結果はどうであれ治療を進める筈です。この先生は正直に話してくれたのです。治療ができないとのことですから結果は抜歯です。

抜去歯牙を見てみると確かに歯茎部に小さなカリエスがありましたが、周りはなんとも無くもったいない気持ちになったことを覚えています。これも私に歯が一本くらい無くなっても良いか。との考えがあっての振る舞いでした。そして最後臼歯でしたがそのまま治療は行いませんでした。

 

その後に今度はセミナーで治療していただいていた歯が悪くなりました。痛みが発症し根管治療を受けることになりました。そのときは根管治療を施した後は充填物で処置して頂きました。

処置を受けてから何度か充填物が脱離し、その都度やり替えていただきましたがある時ガムを噛んだときに再び脱離しました。原因は強い力が修復物に加わった為の歯根破折だったのです。破折箇所は根の奥まで達しており、結果、この歯も抜歯することになりました。(1974)

このときから私はガムを噛むことを止めました。

 

もう一つは、歯周病です。歯科医師が近くにおられるものですから、歯科医院には良く通っていたように思います。しかし、衛生士さんのところへは通っていなかったのです。

歯周病で歯が失われることなど知らなかったのです。正に紺屋の白袴です。

家内からお口が臭いと指摘され、改めて歯科医師に相談したところ、歯周病が進んでいるとのことでした。通院を繰り返し、最後にはフラップオペまで受けましたが歯は助かりませんでした。担当医の先生は私が信頼する先生だったのですが、自身にも持病があって気持ちがそちらの方に行っていたのではなかったのかと猜疑心を抱きました。このことからも歯科医師であっても健康でなければならないことを痛感した次第です。

そこから歯周病を防ぐためには、歯科衛生士と頻繁に出会うことが必要と認識し、毎月1回、歯科医院に通うようになりました。(1976)

 

そして、最後の抜歯です。

左上6番の歯が食べ物を噛むときに痛みを感じるようになりました。

この歯は歯周病が進んでおり、歯周ポケットは7ミリ以上にまで達していました。しかし、この歯は毎月1回、歯科衛生士に衛生処置をして頂いていた歯なのです。私自身も真面目に歯の清掃を行っていたのですが、段々と進行が進みこのような状態になってしまったのでした。その原因が判らず、X線写真にも明確に判らず、痛みが治まらないため、3年以上我慢した挙句、抜歯を決意しました。左上6番の歯でしたが歯の形は以外に小さくカリエスなどはありません。何故、このような状態なのに痛みが生じていたのか。私なりに考えますとこの痛みは、歯ではなく歯を取り巻く周辺組織に炎症があったのではないかと思います。(2021)

問題は、その後の処置にあります。

通常は、この歯は最後臼歯でしたから、インプラントを勧める先生が多いと思います。そして、7番は既に喪失していますので尚更です。しかし、私の主治医はいろいろと説明した後に「このまま放置しておきましょう。」と話されました。

私も説明に納得ができたものですから、そのままにして今日に至っておりますが何も問題は感じていません。

インプラントという選択もあると思いますが、放置すると言った考えもあることを知り、歯科医師の言われた通り従うことに聊か問題を感じた次第です。

 

結果、私は4本の歯を失うことになり、現在、自分の歯は24本、内4本はブリッジの支台歯になっています。

もっと早い時点で、気がついていれば歯を失うことは無かったのではないか思いますが

全く歯に関心が無かった私がこれだけの歯を維持していることは主治医の指導に従い歯科衛生士の方々と二人三脚してきたお陰と感謝しています。

 

  • 治療を通じて感じたこと

  最初の歯を失って感じたことは  

・歯科治療は治療方法があっても出来ない部位があること。

  ・先生によって、技量差が存在すること。

・出来ないことを正直に話す先生がおられること。

・抜歯に対しての認識が甘く、簡単に受け入れたこと。

 

2番目の歯を失って感じたことは

  • 失活歯では充填した物の形状で大きな力が加わると歯根破折が起こること。
  • 痛みから逃れるため神経を取ることを躊躇しなかったこと。

 

3番目の歯を失って感じたことは

  • 歯周病は知らぬ間に進行が進むこと。
  • 病気の回復には相当な時間と本人の努力が必要なこと。
  • フラップオペを行ってもそれ程の期待は持てないこと。
  • 日頃からの歯磨きを怠ると歯を失うことになること。
  • 自分が発する匂いに気がついていなかったこと。

 

4番目の歯を失って感じたことは

  • 歯周病の原因となる歯周ポケットは深くなれば成るほど処置が難しいこと。
  • 特に最後臼歯の遠心歯茎部は歯磨きが難しいこと。
  • 判っていても、最終的には歯が失われること。
  • 失った歯の後の処置を歯科医の言いなりにならないこと。
  • 適切な助言をしてくれる良き主治医を選ぶことが必要であること。
  • 迷ったときはセカンドオピニオンを活用すること。

 

これを総合的に考えると次のようになります。

患者としての私の責任

  • 歯を維持しようとする努力が無かったこと。
  • 患者として歯科医療の対する知識が無知であったこと。(知識を入手する手段不足)
  • 歯を磨く必要性を認識していなかったこと。
  • 歯科医師を信用し過ぎていたこと。

 

患者から見た歯科医師の責任

  • 治療技術に技量差があること。
  • 出来ないことを出来ないと言わないこと。
  • 歯の病気は一方通行の病気であることを言わないこと。
  • 歯科医師という地位に甘んじていること。(患者は言えばその通りになる)

 

医療制度上の責任

  • 歯科医師の技能検査を行っていないこと。
  • 健康保険制度の問題
  • 疾病保険であること。
  • 出来払い制度であること。
  • 治療の質を歯科医師本人に任せきり(不良製品にチェック無し)になっていること。
  • 個人型の医院が多いこと。(個人開業では設備費の負担が大き過ぎる)
  • 歯科医師の数が都市部に集中し過ぎ、地方都市との格差が広まったこと。

 

※歯を守るには

 最後に私の歯を守る方法を伝授します。

  • 月に1回、少なくても3ヶ月に1回は歯科衛生士と歯科医院内デートすること。
  • 歯を磨くとき、歯磨剤を使うと唾液が多くなる為、歯磨材は使用しないこと。
  • 歯の清掃は、十分時間をかけて行うこと。
  • 歯科衛生士が形態の異常を見つけたときに、歯科医に診てもらうこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • Dr.Daryl Beach略歴
  • 国  籍 アメリカ合衆国
  • 生年月日 1926214日 
  • 経  歴

194445年 米国キャロル大学、米軍海軍V-12プログラム(将校養成課程)

       BSプログラム(学士号)取得

194647年 米国オレゴン州立大学卒業、化学及び心理学専攻、BS(学士号)取得

194751年 米国オレゴン大学歯学部卒業、DMD取得

195864年 日本大学歯学部客員教授

1964~    東京医科歯科大学非常勤講師

1972~    韓国慶熈大学歯学部名誉教授

1975~    フィリッピン、オカンポ大学客員教授

198085年 九州大学歯学部非常勤講師

1984~    米国メリーランド大学歯学部客員教授

1997~    東京歯科大学非常勤講師 

  • 学術活動

195152年 米国オレゴン州ポートランドにて開業

195257年 横須賀米国海軍病院に口腔外科医として勤務、この間米国外務省の人材交流プログラム“ピープル・トゥ・ピープル・プログラム”により、日本をはじめアジア各国を回り、米国歯科診療の最新技術を紹介・指導を担当する。

1962         米国アラスカ州アンカレッジにて診療

1969~    原爆障害調査委員会顧問        

196994  HPI研究所(Human Performance & Informatics Institute)創立

       創立理事長就任、国内外の歯科医師、大学関係者に歯科教育コースを提供する。

1970年代   システム・ロジック・コングレス主宰

197076年  世界歯科連盟FDI歯科診療委員会顧問

1983~    APLOAcademy of Performance Logic for Oral Health)名誉会長

198496年  世界保健機構(WHO)口腔保健専門委員会委員

       1984年から実施されたタイ、チェンマイ州でのWHO地域口腔医療プロジェクトに独自に開発したシステム・ノウハウを全て無償供与し、全面的に協力する。

1984年    OMU(Optimum Management Unit)アソシエーション、世界pdヘルスケアーソサエティ理事

1995年    有限会社LANセンター開設(LAN事業発展に尽力)

1995年    中日友好歯科診室(上海)の開設に際し、システム・ノウハウを全て無償供与し、全面的に協力する。

  1.        カナダを拠点としたNPO法人GEPECGlobal Engineerig    

Promotion & Education Collaborative)をDr.Doughertyと共に創立、共同理事長を務める。

  • 褒賞
  1. 春の叙勲で勲三等瑞宝章

 

  • 逝去      20161029日 

 

 

  • HPI研究所(Human Performance & Informatic Institute

Dr.Beachにより創設された研究所で開設当時はHuman Performance Instituteでしたが後年になって Informaticが加えられた。

 

  • HPI研究所開設15年でのDr.Beach講演録(抜粋1978

HPIの名の由来についてふれてみたい。人間の存在は大別すると、存在すること、行為することに分けられるが、人間存在の意義を自己も他者を含めて考察する時、存在することの条件-わたしたちが人間と呼ばれる所以のところは-これを大きな範囲と捉えると、行為すること、存在することの枠内に含まれる小さな範囲として把握すべきだと思う。

特に今日このことは、強く念頭におくべきだ。行為することは存在することの一部であるが、麻薬や覚醒剤など有害な薬物で身を亡ぼすという個人レベルから、核戦争による破壊という人類全体のレベルまで、存在の条件に反する行為を行う可能性も多々ある。

英語では、行為することを定義するとPerformance-見方によると、Per(~により、~ごとに)という前置詞とFormという単語が組み合わさっていると考えられる。

Human Performanceとはよく字義を考えてみると存在することと行為することの関係を定義する試みを指していることが判るであろう。これは英語においては組織の名として考え得る最良の言葉であった。

存在することについて、幾つかの要素がある。例えば人間の姿勢それ自体が存在することの一要素である。

姿勢から価値ある位置(Position)が導き出され、価値ある位置から動き(Movement)がそして動きから定義した行為(Performance)が導き出される。換言すると余計な動きのないことがPerformanceであると言える。

私たちは、自らの研究所あるいは、定義を促進するために存在する組織(Institute)と名づけた以上Performanceの意味するところをできる限り、明確に定義するべく努力してきたつもりだ。

ところで、自分の興味に基づいて趣味なり遊びなり、自分が自発的にしたいと思うことをする。すなわち自分なりの可能性を追求し、或いは発揮している時間は、仕事と遊び余暇という区別が消滅することがある。

これは、人間存在のジレンマ、或いは二律背反であるといえる。しかし、わたしたちが人間の生存、安全、或いは健康を維持するための、必須の活動を行う時、これをPerformanceという範疇においてとらえ、テクニックの原則に関係づけようとすると、前述の二律背反はおそらく真には存在しないものだということ、人間の可能性はおそらく、維持活動の中にも探求し得るということがわかり始める。

わたしたちが従事する健康管理および医療行為は、Performanceの一部であり、Performanceは人間の可能性追求の領域にあるものだという認識の転換が起こる。そして、重要なのは、わたしたちは単に今日の人々、わたしたちの子供の時代にも責任を持とうとすべきである。

また、歯科医療と呼ばれるひとつの小さな分野は、世界規模での問題解決、テクノロジーの応用、世界に適用すべき生活条件、存在の条件の追求に、価値を持つものである。

思うに、歯科医療の特異性は人間の生体組織と無機物質の境界面を、取り扱うことにあるのではないだろうか。歯科医は、世界中で最高の回転速度を持つ機器を扱い、歯科材料として用いられる無機物質についても、詳細な知識を持ち、厳密に定義した条件が要求される。

他方では、人間とも非常に密接であり精神及び肉体の両方に深く関わっていかなければならない。そしてHPIは、自分とは何であるか、わたしたちとは何であるか、何をすべきかを考えるために生まれた組織であると思う。

今日は明日のためにあるのだということを胸に、今後も力を合せて未来に進んで行きたい。